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2006年01月27日

古本という価値

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「竜馬がゆく」「翔ぶが如く」と司馬遼太郎本を読んできましたが、いい加減新品はいい値段がするため古本屋に寄ってみました。もちろん続きである「坂の上の雲」が目当てです。

丁度全巻揃っていたため購入しました。全 8 巻で 1500 円です。新品だと 4720 円ですので 1/3 以下の価格で購入できたことになります。こうやって比較してみると新品購入はありえなく思えますね。日本の本は高すぎです(翻訳される技術本などは特に・・・)。図書館を利用する手もありますが、貸し出し中の待ち時間を考えると古本の選択肢がまず頭に浮かびます。

古本を利用するときの楽しみの一つに、前のオーナーの読み跡があります。本にクセをつけたり書き込みをしたりです。自分が一度読んだだけでは気づかずに読み飛ばしていたであろうことでも、そのクセがあったために心に残ることがあります。

この「坂の上の雲」には面白い書き込み(プリントアウトしたものの貼り付け)がありましたので、全文引用してみます。

読書の習慣をつける

皆様ご存知の通り、社長は大変な読書家です。ビジネス書だけでなく古典から始まりあらゆるジャンルを網羅しています。その中のエキスを『日報つれづれ』で全社員に発信しているわけです。社長は、業績の向上だけでなく全員が知識を深め見識を持った人間として成長していただきたいと願っています。そのための一番の近道は、読書に勝るものはありません。先人の智恵が凝縮されたそれに触れる習慣をつけ、人間力を磨き魅力ある人間として生涯を過ごしていくことが、本来の大人としての義務だと考えます。
今後、責任者会議毎に推薦図書の要約をお渡しします。第一回目として、司馬遼太郎著『坂の上の雲』(1)(2)を選択いたしました。楽しんでお読み下さい。

『坂の上の雲』(1)(2)

本書は、司馬遼太郎が 40 才代をおおむね費やし、書上げた。資料集めでは、神田の古書店外でトラックを満載にするほどであったっという。この物語は、明治維新から日露戦争までの新興国家日本を、歌人正岡子規と、軍人秋山好古・真之兄弟を中心に描いたものである。この 3 人は伊予松山に生まれた。松山班は徳川方であり薩摩・長州・土佐の勤皇派とは維新後の生活が大きく異なってくる。没落士族には金がない。世にでるには学問が必要。好古は学費がただの学校、師範学校へ入学する。その後、東京へ行き士官学校へ入学し騎兵を志願した。真之は 10 才年下で子規と同学年。真之は年少のころから文学的才能があり絵にも長けていた。後、兄好古を頼りに上京し一般大学へ入り文学者を志すもその後海軍兵学校へ進む。正岡子規も同時に上京し、明治 22 年、常磐会宿舎に入る。旧松山藩の寮で現在では日立グループ所有の料亭になっている。(文京区)。この年喀血した。子規の名は、このときからである。ほととぎすは子規ともかく。

日清戦争は、欧米の帝国主義を真似た日本の侵略戦争という見方が一般的だが、司馬遼太郎は別の見方をしている。ロシアの極東侵略は日本の江戸時代中期からしばしば見られるように(ウラジオストックはもともと清国の領土で、極東を侵略するという意味がある。)イギリスとロシアにおける覇権争いの結果であった。その頃子規は根岸にいる。日清戦争終結間際、子規も記者として従軍した。すぐ帰国したが病が重くなり入院。一時快方に向かい東京に帰る。その途中に詠んだ句が有名な『柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺』である。

秋山真之は、アメリカへ留学する。戦略と戦術の勉強の為であった。ちょうど北西戦争がおき、観戦武官として従軍した。軍港に隠れるスペイン艦隊をアメリカは閉鎖作戦で閉じ込めた。後、旅順港で行った作戦と同一である。

この文章を書いた人は私の文章の書き方と非常に似ており、数字は半角で書く、半角数字と全角文字の間には半角スペースを入れる、カッコには半角カッコ () を使う、などの共通点があります。これだけでちょっとした好感を持ちます。

さてプロファイリングの真似事のようなことをしてみると、この人が言っている『日報つれづれ』というものは発信している、というあたりで blog 的なものかなと想像できます(日本で web が流行りだした頃の名残で「発信」という単語を使っているものと思います)。メールなら配信とかになるでしょう。全社員に、というあたりでこれがローカルなネットワーク上にあることがわかります。企業的に言うイントラネットです。

この文章の書き手と実際に本に貼り付けた人は別人で、責任者会議に出席している人でしょう。本自体に「~社蔵書」のようなスタンプがないことから、個人所有の本であることがわかります。会社の規模は 100 人前後の社員で(その他アルバイトはいるかもしれない)、責任者会議は 10 人前後であると想像します。『日報つれづれ』を書き、それを読む社員数が見込まれること、責任者会議においては要約をわたすだけの人数が見込まれることから想像する人数です。 2,3 人の責任者会議でこれだけのことをするとは思えず、そうなると組織的にも社員数は見込まれ、逆に社員数が多すぎる場合こういった個別的な動きは行われず、社内の福利厚生課などが組織として実施すると想像できるからです。


投稿者 napier : 2006年01月27日 23:52


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