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2006年03月12日
まぁその
ドランク更新なのですが。
ビジネスというくくりと学術というくくりには大きな溝があるわけです。物理的には位置エネルギーが変わらない限りにおいては働いた力は±0なわけですが、現実世界においては自乗平均くらいの資金が動くわけです。それを理解しない頭のいい人が多いわけで、現実世界を知っている人は資金の流れという世知辛い部分に長けているわけです。
それに対してどうこういうのは経済的にウンタラ~とかいう領域に踏み込むわけで、あまり私が好きな領域ではありません。しかし日々の暮らしにおいてその方向に巻き込まれることはあるわけなのですよね。
人類の科学史は自然の模倣に終止せざるを得ないのかもしれませんが(経済的に意味があると言う意味においてという皮肉ですが)、経済に左右されない程度な箱庭の中に早く入れる程度の経済力を手に入れたいと思う次第です。
といっても、外界からの意味のある刺激という意味では「WAR GAMES」ですら、人類を相手にしている分においては「アクション」そして「リアクション」の繰りかえしと仮定できます。人間の行動はその範囲において想定が可能ですが、自然という世界(勿論数学的世界を含めて)を相手にする分には、その範囲は今までの想像を越える世界を相手にしなければなりません。
ドランカーの望みとしては自然の全てを見たいのと同時に、それが達成された世界の趣の無さに興味の幻滅を感じざるを得ません。人間の感情は置いておくとして、科学的に解明された世界を科学者が興味をもって生きることができるかどうかが気になってしょうがありません。それは、音楽的に言えばあらゆる作曲がなされ尽くし、自分は作曲家にはなれず演奏者としての世界しか存在し得ない世界をあらわします。私は科学的にそんな世界があらわれたとき、生きる意味を見出せる気がしません。謎の無い世界は趣が無さ過ぎます。
そしてこれはきっと人間のエゴなのでしょう。いじめのない少年時代が無いように、科学的な謎の無い世界は存在しえません。勿論その前提として「人間にとって」という制約が付くことを、人類の歴史が続く限り、誰も証明することと実践することはできないと確信しますし、仮にそんな世界ができた場合、それは人類とは別の種であると規定すべきであると私は思います。
経済的~という魔法の言葉は、人類相手に対してのみ、その魔力を発します。
投稿者 napier : 2006年03月12日 00:14
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