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2006年06月11日

酔った上での戯言

日本人における web にみる日露戦争史観、的なものをつかもうとして Google で抽出されたサイトを適当に眺めていましたが、未来から過去を俯瞰する、という立場を超えて踏み込んでいる論になかなか接することができません。多分 web で見れるような文章はここも含めて社会的に確立した論評のコピーでしかなく、意識的にそう思っていないとしても、無意識下に昭和後期によって醸成された論が大勢だと感じられます。

もし、旅順攻略におけるの乃木将軍の無能性、といったようなことを司馬史観以降の現代日本においていうのであれば、現在の日本が抱える経済的な問題に関しても同じように厳しく言及して欲しいものと感じます。誰かが定義した文言でなく、あなたの定義する現代論を持って論じてもらいたいという気分です。

人の文章は断定を好み、その断定の根拠となるものはどこかの著名な原書や社会的な方向によることが多いと感じます。特に日本においては、社会教育の不十分さから国民におけるある種のマスコミ信仰があり、またマスコミも国民の上において存在している、といった特権階級意識が強いと感じます。この辺は端的な例としてはマスコミ各社の平均給与をあげればことたりるでしょう。例えばライブドア騒動があったフジテレビの平均年収は 15,670 千円。ライブドアは 4,560千円など。

事件報道に関しても逮捕ということが主眼におかれ、それが実際に有罪であるか無罪であるかという司法判断に関しては大きく報道されることは稀です。日本においては逮捕されることと有罪になることはほぼ同義の意識で扱われていると思いますし、私も自分で意識して考えない限り「逮捕される=悪」であると子どもの頃から感じていました。これは報道の影響によります。

まぁ何が言いたいかというと、自分で考え、自分で判断しないとダメだな、ということです。これが人間社会では特に難しいことであると最近感じています。理系は、ある種、楽です。


投稿者 napier : 2006年06月11日 00:36


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