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2006年07月07日

この野菜は~で作られました

インタビューをする人とされる人、記事を書く人と編集者、そして掲載。この中で名前が表に出るのはほぼインタビューをする人とされる人ですが、最も権力を握っているのは編集者、とのことです。編集者の気持一つで白いものも黒く報道されてしまいます。現在のように Blog が発達していなかった場合、この記事に対してインタビューを受けた古川さんにどういったアプローチの方法があったでしょう。そしてこれほど早く記事の修正がなされたでしょうか。

このエントリを読んだときに思い浮かんだ単語が「民度」です。「民度が低い」とか「民度が高い」といった形で使われますが、こういったインタビュー記事が掲載される、編集者によっていいように弄られる、それが大手をふって行われる、といったところが日本の「民度」の一部分であることはあるでしょう。件の記事は修正されたようですが、編集に携わった人に関しては何も触れられていません。今回の件は、図らずもこういったある種の権威に対して Blog が有効な反論の手段であることが示された好例の一つだと思われます。

ちょっと前ですが、朝日新聞が「ジャーナリズム宣言」などとコピーをうったことがありました。私のこれを見た瞬間の嫌悪感は凄まじいものでしたし、TV でこの CF が流れこのコピーが読まれたときには何ともいたたまれない気分になりました。「自分で宣言しなくてはならないほど自信がなくなっているのか(それとも傲慢になっているのか…)」という感想以外ありませんでした。

ちょっと前ですがスーパーの野菜などを RFID で管理し、産地や生産者の情報を得ることができるサービスに関してニュースがありました。最近ではどうなんでしょうね。特に「ジャーナリズム」などといっているいわゆる権威は、それに対して責任を負うべきだと思います。その記事に携わった人の情報が、野菜の RFID のように取れればいいな、と思いました。勿論、ある種の権威はその媒体名である程度の判断ができますが。「東スポ」とか「ZAKZAK」とか(笑)


投稿者 napier : 2006年07月07日 00:59


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