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2011年08月18日

官僚の責任

話題の官僚、古賀茂明さんの著書です。

この書籍を読むに至った経緯は Life is beautiful のこのエントリからの流れです。

東日本大震災から福島第一原子力発電所事故、そして補償問題。これらに関してはリンク先を読んで頂くとして、この本を読むと官僚組織の意識の根底には日本の伝統的な「家」という観念が横たわっているように感じます。この「家」は「天下りポスト」であり、霞ヶ関的に「天下りポスト」が無くなることは、かつての大名家における「御家断絶」を意味するように感じられました。

ちょっと長いですが引用すると、

 が、その結果、新たな団体が生まれたことで、そこへ理事長として一人、事務局長として一人を通産省から送り込むことが可能になった。典型的な天下りポストが誕生したわけだ。
 その後、私が商務情報政策局の取引信用課長として、こうした事業を担当することになったときにはすでに、事業は安定してまわっており、かつ流動化の仕組みも市場での理解が進んでいた。だから、私はこういう提案をしてみた。
「もう、いちいち経産相が審査しなくても民間でできるでしょう。リースとクレジット以外の資産流動化にはこんな規制はない。もう規制をはずしてもいいのではないですか?」
 しかし、規制撤廃は容易には進まなかった。
 むろん、規制を撤廃しても差し支えないということ、それによって取引が活性化し、業界ひいては金融業会にとってプラス効果が大きいことは、みんなわかっている。けれども、現実に経産省の所管団体が存在し、そこに天下りしている省のOBが二人いる。もし法律を廃止して規制をなくせばどうなるか──審査を行っていた団体も不要になってしまう。
「そうなったらOBが職を失ってしまうではないか」
 規制撤廃が遅々として進まなかったのは、大勢がそういう考えだったからだ。
 そもそも、官僚の世界では先輩に不利益になることを言い出すこと自体がタブーなのだ。
「なんて冷たいやつなんだ」
 そう思われるのである。
 このケースでは、何度も担当局長を説得した結果、最終的には私の理屈が通り、規制は撤廃されることになったのだが、最後に局長が言った言葉を私はいまだに忘れられない。
「ぼくはほんとうに寂しいよ……」
 局長はそう言った。規制が緩和もしくは撤廃される際は、世論や外国からの圧力を受け、「もはや、やむなし」と政治家が判断して手をつけるというパターンが通常だ。しかし、担当課長は最後までそれに抵抗する。はっきり言えば、天下り先が減るからだ。それが霞が関の常識なのである。
p114~p115

時代劇が好きな人にはこの感覚がわかって貰えるのではないかと思います。 また、「信長の野望」的なシステムで「官僚の野望」といったゲームまでできてしまうんではないかと、想像は膨らみます。


投稿者 napier : 2011年08月18日 18:54


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