« CATALYST 5.10 | メイン | 記憶めぐり »
2005年10月16日
翔ぶが如く(7)
第7巻はついには「会戦前夜」といった感があります。一度動き出した気運というものは、ひと一人の力ではどうすることもできないということをまざまざと見せ付けられる気分でした。現実はロジックどおりには動かずに人が動かします。しかしその人を動かすのは、熟慮よりも多分に気分の高揚である場合があります。この会戦前夜もそういった気分の中で情勢が形成されていきました。「覆水盆に帰らず」と言ってしまえば簡単ですが、あるかもしれないと仮定しつつも無いと思っていた現実が実際に起こったとき、薩摩 - 私学校が選択した、せざるを得なかったのが「決起」という道でした。
この決起に至る決定的なトリガは、私学校生徒らによる陸軍火薬局からの武器強奪に端を発します。この報に触れた桐野、篠原らの気分が以下に描かれています。
桐野がぬっと入ってくるなり、篠原国幹にいった言葉を、田中才助は記憶しているのである。
「お前さァが、弾薬を取らしゃったか」
これに対し、篠原が意外そうに、
「いやっ、俺は、お前さァのさせやったかと思うちょった」
たがいに事件はその差金かと思っていたのである。が、そうでないことがわかったとき、田中才助の記憶では、桐野は、
「もうこうなれば仕方がない」
と、長大息した。決起以外にない。決起には名目が要る。「刺客」という風説をもつ帰郷組をとらえて泥を吐かせ、それをもって政府の非を鳴らす、ということであったか。要するにすべてを動かしているのは、この異常な気分であった。(p253-p254)
また西郷は私学校本局における大評定(寄合)において、最終的には
自分は、何もいうことはない。一同がその気であればそれでよいのである。自分はこの体を差しあげますから、あとはよいようにして下され。(p282)ということをいいます。
大久保利通と西郷隆盛という両雄が、どこでボタンを掛け違えてしまったか。結果的に衝突しなければならなくなる二人ですが、
西郷と大久保とは、政敵として袂をわかったとはいえ、年少のころから同志の契りをむすび、水火をともにくぐってきて、互いに気心も志操も知り抜いていると双方が思い、かつ双方の人格に付いての尊敬心を、どちらも失っていない。(p255)とまで形容される二人です。
ふと思い出したことに「銀河英雄伝説」のロイエンタールの反乱があります。細かな情景としては異なりますが「自分の意志とは別の力によって揺り動かされる人生」という観点において類似性を見出してしまいます。「銀河英雄伝説」を読んだのはもう 10 年程前だと思うので詳細は忘れてしまっていますが、また読んでみたい気分になりました。
投稿者 napier : 2005年10月16日 19:09
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://will.squares.net/mt/mt-modified-tb.cgi/65