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2006年02月04日

坂の上の雲(1)

意外に、というのも失礼な話なのですが、「竜馬がゆく」や「翔ぶが如く」のように私が知っている有名人が出ているという先入観が無かった分期待もしていなかったのですがとても興味深く読むことができました。本編を読む前の基礎知識は裏表紙にある以下の紹介だけでした。

明治維新をとげ、近代国家の仲間入りをした日本は、息せき切って先進国に追いつこうとしていた。この時期を生きた四国松山出身の三人の男達──日露戦争においてコサック騎兵を破った秋山好古、日本海海戦の参謀秋山真之兄弟と文学の世界に巨大な足跡を遺した正岡子規を中心に、昂揚の時代・明治の群像を描く長篇小説全八巻

この中で唯一聴いたことのある人物は正岡子規で、しかし思い出すのは国文学の人、程度のものです。あとは国語の教科書に載っていた写真が髪は無くて横顔だったよなぁ、くらいのものです。

1 巻で興味深い文章に以下があります。

 真之は、くびをかしげた。ものごとの追求力は、子規は常人よりすぐれている。
「しかし、考えを結晶させる力が乏しいようだな」
 と、真之はいった。真之にいわせると、「考え」というものは液体か気体で、要するにとりとめがない。その液体か気体に論理という強力な触媒をあたえて固体にし、しかも結晶化する力が、思想家、哲学者といわれる者の力である。その力がなければ、その方面にはすすめない。(p187)

これはうまい例えだな、と感心しました。多分、これは日常生活における全てにつうじることだと思います。その道を突き詰めていき、仕事にしている人も多いでしょう。勿論、この結晶化の過程が重要であり、一度結晶化してしまったものはそこで停滞をおこします。その停滞もまた問題であり、そのことに関してはここで触れています。

また、いつもの司馬節も健在です。

 極端な言い方をすれば、メッケルが日露戦争までの日本陸軍の骨格をつくりあげたといえるかもしれない。メッケル自身、後年それをひそかに自負していたようであり、日露戦争の開戦をきくや、ベルリンから日本の参謀総長あて、
「万歳──。日本人メッケルより」
 と、打電した。ちなみに明治時代がおわり、日露戦争の担当者がつぎつぎに死んだあと、日本陸軍がそれまであれほど感謝していたメッケルの名を口にしなくなったのは戦勝の果実を継いだ──たとえば一代成金の息子のような──者がたれでももつ驕慢と狭量と、身のほどを知らぬ無智というものであったろう。(p229-230)

これは第二次世界大戦を生きた司馬さんの感想であると思われますが、高度経済成長とその後のバブル崩壊後の日本、金融問題・年金問題、フリーター・ニートに代表される若年世代の労働問題など、現在の日本においても遠からぬ警鐘に聞こえます。

とまぁこういった箇所に注目すると暗めになってしまいますが、本編は緩やかに物語が流れていっています。秋山兄弟はともに尉官にあり、兄好古はフランスにて騎兵の研究、弟真之はイギリスで建造された軍艦吉野を日本に回航する任にあたっています。正岡子規はというと、この時期は健康体ではなく度々喀血を起こし、東京から松山に帰国することになります。しかし描写がおもしろいのか正岡子規という人物が実際にそうだったのか、まったく病人ぶるそぶりが見えません。医師に「安静に」といわれると体を動かさずにはいられないような感じです。

物語はこういったなか、2 巻へ続いていきます。


投稿者 napier : 2006年02月04日 23:26


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