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2006年10月11日

悪気のない正義

ちょっとした言葉のあややボタンのかけ違いで誤解が生じることがあります。
後になって思い返してみると修正可能なポイントは多数存在していることに気づくわけですが、ことがそこに至った状況ではそれはもう後の祭りであり回復可能なポイントを遥かに通り越してしまっていることもあります。

その様な状態のときに行える方法のひとつは言葉を尽くして説明を行うことであったり、または沈黙を守ることの方が事態を解決に向かわせる有効な方法であったりします。「沈黙は金、雄弁は銀」という諺の状況です。

ある人が誰かに相談をするという状況において、そこには 2 つの仮定が成り立ちます。

  1. その人がアドバイスを欲しがっているという状況
  2. その人は単に話を聞いてもらいたいと思っている状況

勿論どちらかが 100% とという状況はあまりあり得ないわけで、それぞれ X% と (100-X)% というバランスを見分けることが相談を受ける人の考えなければならないポイントだと思います。相談をする側の人も、その相談相手を選ぶ段階においては相手に期待している対応の理想像があり、それを満たしてくれるだろう人物を意識無意識を交えて選択しいているものと思われます。

相手に期待している部分と実際に受けた対応にギャップがあると、それは不満となってあらわれます。この状況は双方にとって有益な状況にはなりえません。

「聞き上手」という言葉がありますが、多弁を旨としない方が相談者にとっては有益な状況が多いのかもしれません。そしてこれは精神的な相談に負うところが多く(悩み事の相談など)、物理的な相談(?商業的なコンサルティングや、勉強など)ではじっくりと説明を受けることが重要であると思われます。

精神的なそれの例としては「MOMO」が代表的ですね。物理的なそれは、一般に相談ではなく「指導を受ける」や「教授してもらう」といった方面だと思われます。

と、現状をプロファイリングしてみているわけですが、これ自体もある種バイアスのかかったプロファイルですし、ましてまっとうな解でもあり得ません。結局は受け手によってすべての決定がなされるわけで、これに対して思いが至らなかったなぁと反省している次第です。

# 受け手に~という件を考えてるときに「なんだか量子力学みたいだなぁ・・・」と、観測するということの難しさを思い出してしまいました。うーむ、、、集中していないということか。。


投稿者 napier : 2006年10月11日 01:19


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