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2007年06月08日

わたしたちの教科書 (2)

ん~、なんか予定調和的な方向に展開しているのが何とも・・・。このまま戦いに勝って勝負に負けた、的な玉虫色の結論になるのかどうなるのか、ちょっと気になります。

中学生時代の経験から言うと、いじめのない学校なんてあるわけがないというのが感想です。何て言うか理想論だけで教育をやっている気になっているところだけがこの辺を管理したがるんだろうな、と思います。分かりやすいのが今の社会保険庁とグッドウィルの扱われ方ですね。社会保険庁はお咎めなしで、コムスンを抱えるグッドウィルはお咎めをさせようという、まぁこの辺は大人のいじめ結社ともいえる大衆紙やワイドショーがガチで組んでいるのでその辺からかえりみて見てよ、という感じですが。といっても、問題を反故にする、ってことでなくて対等に扱いなよ、という意味です勿論。

で、まぁ学園モノでいじめを扱うドラマの違和感というのが何に依拠しているかと言うと、前提として存在すると仮定できるいじめを社会的には存在していないようにフタをしている自分達をかえりみることができるにもかかわらず、それを白々しくも無いと言いたいところにあえて問題として扱う厚かましさを、関わりの無い視点で楽しんでいるところ、なんですよね。傍観者の無関心と言うか。

・・・と、ここまで書いて「傍観者の・・・」って芥川竜之介の「鼻」にあったよな、と思って読み直してみると「傍観者の利己主義」でした。んー、現代日本は、利己主義を感じるよりも他人に対して無関心なのか、と、ふと自分の発想から思ってしまいました。。自分がきっと無関心なんだろうな、とは思うんですが...orz


投稿者 napier : 2007年06月08日 01:19


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