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2006年02月20日

坂の上の雲(2)

1 巻と同様、軍人である秋山兄弟のパートに正岡子規のパートが差し込まれるような形で章が構成されています。軍事面の章を読み進んでいると、肩透かしをくらうように正岡子規の章に切り替わります。それまで読んでいたのは帝国主義時代の軍事的な内容なだけに、昂ぶっていた気分をいい意味で弛緩させられます。帝国主義という殺伐とした時代を描くにあたって、その時代の日本の俳句・短歌というものを織り交ぜる手法は、しかし著者が新聞記者であったという事実や正岡子規自身も新聞「日本」に籍をおく身であったということに一つの意味はあるのでしょう。

司馬さんの小説では情報を扱う必要があるために、もう一つの主流(悪い言い方をすれば傍流)が常に存在します。「竜馬がゆく」では竜馬の情報源や小回りとしての寝待ちの藤兵衛、「翔ぶが如く」では評論新聞の海老原穆などがそれにあたると思います。狂言回しと言ってもいいかもしれません。以上 2 つは傍流といってもいいかもしれませんが、「坂の上の雲」においてはやはり秋山兄弟を主流になぞらえて読んでしまっており、正岡子規はもう一つの主流だなぁ、と感じています。しかし情報を回す立場としては存在を無視することができません。

そんな子規はあまり健康体ではなく、セリフ自体もやわらかいため、逆に凄みのある雰囲気を醸し出しています。伊予弁もそれに一役買っていることでしょう。

「人間は友をえらばんといけんぞな。日本には羯南翁がいて、その下には羯南翁に似たひとがたくさんいる。正しくて学問のできた人が多いのじゃが、こういうひとびとをまわりも持つのと、持たんのとでは、一生がちごうてくるぞな。安くても辛抱おし、七十円や八十円くれるからというてそこらへゆくのはおよし。あそばずに本をお読みや。本を読むのにさほど金は要らんものぞな」 (p25~26)

この子規は秋山兄弟の弟、秋山真之と幼少の頃からの付き合いで、真之が海軍兵学校に入るまでは同じ学校に在籍していました。考え方的にも近いと思う部分があり、例えば

「和歌の腐敗というのは」
 と、子規はいう。
「要するに趣向の変化がなかったからである。なぜ趣向の変化がなかったかといえば、純粋な大和言葉ばかり用いたがるから用語が限られてくる。そのせいである。そのくせ、馬、梅、蝶、菊、文といった本来シナからきた漢語を平気でつかっている。それを責めると、これは使いはじめて千年以上になるから大和言葉同然だという。ともかく、日本人が、日本の固有語だけをつかっていたら、日本国はなりたたぬということを歌よみは知らぬ」
「つまりは、運用じゃ。英国の軍艦を買い、ドイツの大砲を買おうとも、その運用が日本人の手でおこなわれ、その運用によって勝てば、その勝利はぜんぶ日本人のものじゃ。ちかごろそのようにおもっている。固陋はいけんぞな」
 と、子規は、熱っぽくいった。 (p319)
 真之は、滞米中からおもいつづけてきたことを、子規に話した。
「どうせ、あしの思うことは海軍のことじゃが。それとおもいあわせながらいま升サンの書きものをよんでいて、きもにこたえるものがあった。升サンは、俳句と短歌というものの既成概念をひっくりかえそうとしている。あしも、それを考えている」
「海軍をひっくり」
「いや、概念をじゃな。たとえば軍艦というものはいちど遠洋航海に出て帰ってくると、船底にかきがらがいっぱいくっついて船足がうんとおちる。人間もおなじで、経験は必要じゃが、経験によってふえる智恵とおなじ分量だけかいがらが頭につく。智恵だけ採ってかきがらを捨てるということは人間にとって大切なことじゃが、老人になればなるほどこれができぬ」
(なにを言いだすのか)
 と、子規は見当がつかぬままに、うれしそうに聴いている。
「人間だけではない。国も古びる、海軍も古びる。かきがらだらけになる。日本の海軍は列強の海軍にくらべると、お話にもならぬほどに若いが、それでも建設されて三十年であり、その間、近代戦を一度経験し、その大経験のおかげで智恵もついたが、しかしかきがらもついた」
(後略) (p324~)

真之の話はこの後も続きます。とても興味深い内容ですので、是非本書を読んでいただきたいです。

さて、この秋山真之がどういった思考を行う人物であったかは、以下の文が適切に示しています。

 まず真之の特徴は、その発想法にあるらしい。その発想法は、物事の要点はなにかということを考える。
 要点の発見法は、過去のあらゆる型を見たり聞いたり調べたることであった。かれの海軍兵学校時代、その期末試験はすべてこの方法で通過したことはすでにのべた。教えられた多くの事項をひとわたり調べ、ついでその重要度の順序を考え、さらにそれに出題教官の出題癖を加味し、あまり重要でないか、もしくは不必要な事項は大胆にきりすてた。精力と時間を要点にそそいだ。
(中略)
「人間の頭に上下などはない。要点をつかむという能力と、不要不急のものはきりすてるという大胆さだけが問題だ」
 と言い、それをさらに説明して、
「従って物事ができる、できぬというのは頭でなく、性格だ」
 ともいった。
 真之の要点把握術は、永年の鍛錬が必要らしい。(p230~231)

以前、「捨てる技術」[1][2]ということに関して書いたことがありますが、それに通じるものがあります。なかなか大胆に切り捨てるというのは難しいんですよね。こういった真之的な思考は、「キャプテン」や「プレイボール」、そして「スラムダンク」など、スポーツマンガではよく見られる光景です。

子規と真之の会話の続きにはアメリカの海軍の話が持ち出されます。真之はアメリカに派遣されていたこともあり、その流れでカリフォルニア州における排日感情に関する記述がありました。(p283)
実質的には 1 ページ程度の記述ですが、ここで以前見た「ヒマラヤ杉に降る雪」を思い出しました。もうだいぶ前に見たため、今調べてみるとこれは第二次世界大戦後の話ですね。全然繋がっていませんでした。しかもカリフォルニア州でなくワシントン州ですし。私の場合はこのように、記憶を大胆に切り捨てるということがなかなかできません。まぁ「ヒマラヤ杉に降る雪」に関しては子役時代の鈴木杏ちゃんが出演しているという繋がりがあるので忘れることはできないのですが:-)

「坂の上の雲」は思っていた上を数段超える面白さで、何故「翔ぶが如く」を読み終わった後すぐ読みはじめなかったのか、と今更ながらに悔やんでしまっています。続きが非常に楽しみです。


投稿者 napier : 2006年02月20日 22:19


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