« 亀は意外と速く泳ぐ | メイン | iTalk »
2006年04月02日
仲間受けと一を聞いて十を知るという文化
亀は意外と早く泳ぐ の「監督解説付き映像」で『となりのスタジオでは「ローレライ」の編集をやっていた』という話題があったので、同系統だろうな~と思う「亡国のイージス」と「ローレライ」を借りてきて観てみました。「亡国のイージス」は、こちらでちょっと話題になったときに観ようかな、と思っていたまま放置していた映画です。
両方観てみたのですがどちらも、というか、「亀は意外と早く泳ぐ」を含めてもそうなのですが、結局は「日本という文化圏において作られた映画である以上のものではない」というのが感想です。これは、このエントリのタイトルが示すように「仲間受けと一を聞いて十を知るという文化」の中で成立する映画、という意味です。
私はずっと日本映画が嫌いだったのですが、その根源が何かというのが最近やっと漠然とわかってきた気がしました。それは「説得力の無さ」です。根底に横たわる病巣は、この「仲間受けと一を聞いて十を知るという文化」というものです。結局は映画を作っている層(役者ではなくプロデューサ・マーケット担当層)の、ターゲットを日本人においているという思想、もっというと、それで満足してしまう消費者層自身といってもいいと思います。ですが、それで経済が成り立っているの以上、これは口をはさむ余地はなかなか無いものだと思います。
固い映画が好きだとかそういった意味ではないので、結局は「好き嫌い論」になってしまいます。やはり私は相対として日本の映画は嫌いな方ですね。その理由は、このエントリのタイトルが示すとおりです。
最近、イチローが WBC の期間中に、こんな感じでインタビューに答えていたことがありました。「日本人の選手と話をすると楽ですね。伝えたいことを 3 言えば 10 を理解してくれる。それにくらべてこっち(アメリカ)では大変ですよ。15 言っても 10 も理解されないことがあるんですから」。これはアメリカ文化を批判するというよりも「文化がそれだけ違う」ということをわかりやすく端的に伝えている貴重な発言だと思います。
私も最近は日本映画を好きになる気分は多分にあるので(ハシリとしては初代の劇場版「あぶない刑事」)、私の好きな方向に進んでもらえるとうれしいのですが、こういったものは従来の映画信奉者にとっては許せない部分なのだろうな、と思います。なんだかんだいっても結局は「好き嫌い」なんですよね。感覚という言葉はとても便利で、とても難しい言葉です。
追記 : これ、大分酔ったときに書いたのですが仲間受けじゃなくて内輪受けですね。単語が出てきませんでした。
投稿者 napier : 2006年04月02日 01:34
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://will.squares.net/mt/mt-modified-tb.cgi/343