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2005年11月17日

喧伝と喧騒のはざま

最近よく聞く(読む)単語の一つに web2.0 というのがあります。この辺に関してはあまり興味がなくてまったくチェックはしていませんが、多分に FUD(Fear, Uncertainty, Doubt) の延長として捉えています。これは特に日本人に対して蔓延しやすい概念だと思います。国民性として「熱しやすく冷めやすい」を地で行く民族だからです。

「自分はわけがわからないが世間が騒いでいるからそれに乗ろう」的な考えを誘発させるモノです。ちょっと前のわかりやすい例で言えば「iMode」ですね。「インターネット」と「携帯電話」という、当時国民一般に対してまだあまり浸透しているとは言えなかったモノを、さも喧伝するようかのようにして普及させたモノです。インターネットに乗り遅れていた人達は巻き返しを図ろうと、こぞって「iMode」に殺到しました。これは明らかに、現状認識に対して焦りがある人びとに対して効果を発揮しました。ネーミングセンスが光る戦略的な勝利です。

もっと卑近な例としては「郵政解散」をもって選挙に大勝した自民党も同様です。そのちょっと前には「年金制度改悪」をして政権の危機が囁かれていた時局を、「郵政」という偶像をもって巻き返しました。これもうまく世間の喧騒を巻き起こし、「郵政といえば小泉」的な安易な方程式のイメージを持って歴史的な大勝を達成しました。

もちろんこれには、先にあげた日本の国民性が重要な要因となっています。「勝てば官軍」という歴史を延々と繰り返してきたこの国は、平成の世に至って「勝ち組」「負け組」という二元論をもって「平家にあらずば人にあらず」を再現しているかのようです。

結局のところこの国の国民性は、今後数千年の時間を経てもたいしては変わらないのでしょう。これには多分に「日本語」という固有の言葉や諺に、その性格が込められているかのようにも思います。日本語を廃して他の言語を母国語とした瞬間、日本的な性格も一変するかと思われます。言語とは、その国を性格付ける血液のようなものかもしれません(←この考え方自体、ABO 型の血液型分類で育った「日本人」の陥りやすい結論とも言えるとは思いますが)。

追記:
FUD に言及しているのは、わかりやすい例としてかつての "Push", "Pull" 論争を思い出しているからです。当時の "Push", "Pull" 論争と Marimba 社はその後、どうなったでしょうか。大多数の素人に対してセンセーショナルになる概念を持ち出して話題を作り、その人気を背景に実質を伴うべく行動する。これは資本主義の常道とも言えないことはないかもしれませんけどね。。。


投稿者 napier : 2005年11月17日 21:55


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