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2007年09月05日
「言及しない」という言及
最近、あまりにも説明しすぎるのは返って逆効果だな、ということを思っています。プログラミングなんかを生業にしていると、あらゆる状況に対応するために事前に準備する、ことが基本的な考え方となり、いわゆるてげてげな感じの対応はできないのですが、往々にして現実社会とはこういった処理系とは別の体系で成り立っています。
こういったエントリ自体が「説明しすぎ」な例で、この辺を直接的には説明せず、間接的に読者自身がこういった感想を持つように書くことができればそれが理想な気がします。読んだ瞬間に結論の共有をすることはできませんが、読者自身の処理系(思考)によって導き出された答えが、筆者の云わんとするところに違わず持っていけることができる文章であれば、それが可能なのでしょうね。
今までにそれが現れて成功した例としては「Web2.0」や「ウェブ進化論」、「DS」「Wii」のヒットなんかが話題的にはわかりやすいでしょうか。それから遡ると「imode」がうけたり「Apple」の製品がヒットしたり、宇多田ヒカルが日本でアルバムを 700 万枚以上売り上げたりなんかは、結構この部類に近い話な気がしています。
それぞれに共通しているのは、何となくみんなが興味を持っているようなものだ、という雰囲気があるものの、自分はそれをあまり知らず、そのアイテムを手に入れることがその話題に対しての一番の近道になっていること、そしてそのアイテム自身に多数の人をひきつける魅力があること、が基本です。そのアイテム自身は言及をせず、それらを共有した人たちが何となく同じ結論を共有している感覚を得ることができる、、、とここまで書いて自分の考えが発散している気がするので、またあとで考えます。Memorandum 属性も付けとこっと:-)
投稿者 napier : 2007年09月05日 00:33
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