サマータイムマシンブルース(2)
さて、今回はいきなりネタバレがあるので。。。
「サマータイムマシンブルース」の最後のタイトルを見たときに感じた既視感の正体がわかりました。「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」です。劇中にラムちゃんのコスチュームも使われており、オマージュとして扱われていることは宣言されていましたね。
私が最初に触れたタイムパラドックスものはドラえもんで、「大長編ドラえもん のび太の大魔境」になります。その後はやはり「Back to the Future」ですね。それに続いて「時空の旅人」かな。「サマータイムマシンブルース」を観るにあたって、これらの作品を観ているといろいろと思うものがあると思います。あと、コメンタリーで監督も触れていましたが劇中、ガンダムの曲が使われています。これには驚かされました。コメントを聞いていると「そういう経緯だったのか~」と含み笑いをする内容です。あの場だけ「sakusaku」を見ている感覚になりましたが(笑)
コメンタリーはいいですね~。一度目に観ただけではなかなか気が付かない細部に目が向くようになったり、コメントを聞いて妙に納得したり(ネタがわからない部分もありましたが・・・)。「サトラレ思念波」のときもおもしろかったのですが、この企画は本当に好きです。SF 研のテーブルの上に「サトラレ」の単行本があったのに気が付いたときには「もっと小ネタ探しをしようかな」と思ってしまいました。
2006年02月23日
サマータイムマシンブルース
- サマータイムマシンブルース
- 本広克行監督
- 2005 年公開
夏に観ようかと思っていたのですが、雑誌で公開を知ったときには既に終了してしまっていて残念な思いをした記憶があります。夏は情報に無頓着すぎていましたね。
本広監督の映画は「サトラレ」「スペーストラベラーズ」が自分的に大ヒットだったため、そっち路線は注目しているつもりでした。逆に、「踊る大捜査線」シリーズは本編ドラマを観ていなかったために乗り遅れてそのままです。MOVIE の 1&2 はビデオで観ましたが、スタートダッシュができなかった分乗り切れなかったですね。今でもそうです。
この作品には「スペトラ」的なオバカなノリを期待していたのですがちょっと期待が勝ちすぎていたようです。映画を見ると大体 5 分くらいでその映画のニオイがわかるのですが、この映画は「ちょっとヤバイかな?」と思って、果たしてそのとおりでした。自分の中で定義づけている映画開始 5 分の「問題提起」という部分があるのですが、ここがダラダラと長いのです。ツカミの部分ですね。以前期待していてこの現象を感じた映画としては「Avalon」が顕著です。
そして本広監督ということで期待していた部分とは別にやはり上野樹里ちゃんです。彼女が出演していなければ DVD の購入までには到らなかっただろうな、と思います。「スペトラ」や「踊る~」の深津絵里さんのように本広監督は私の好きな女優さんをよく起用しているんですよね。「サトラレ」の鈴木京香さんや八千草薫さんもそうです。この辺のキャスト眼にも結構まいっています。
さて映画自体はどうかというと、それでもけっこう楽しめました。本広監督独特のせつなさの部分が弱かったかな、と思いますが…、と書いて気が付きましたが、今回の映画は感情の振幅の幅を少なくしか振られなかったのがこういった感想になった原因かな、と思います。本広監督の醍醐味は、笑いの中にもせつなさを織り交ぜる術に長けている部分、だとちょっと今思いました。
映像はいたって良好で日本的な低コントラストさはありません。夏の強い日差しを浴びた高コントラストな映像が多く、とても好きな映像の部類に入ります。私の映像の好き嫌いに関してはこの辺などをどうぞ。
さて一度観終わったので、次はサトラレ思念波・・・もとい、コメンタリー付きで観てみようと思います。意外と DVD のこの機能は好きですね、特に本広監督作品に関しては。
2006年02月18日
奇跡の人
- 奇跡の人
- アーサー・ペン監督
- 1962年公開
- 白黒
衛星映画劇場で放送しているのをチャンネルを替えているときに偶然見つけ、字幕の「サリバン」に目が止まった瞬間に見ることを決めてしまっていました。話自体は人から聞いたり番宣などの記事で知っており、有名な "water!" も「オレンジデイズ」や人づての話で知ってはいましたが、伝記や映画を見たことがなかったためオリジナルは本当に初めてです。そのシーンにはもう涙でしたね。
サリバンのいうセリフは一々自分の心にも突き刺さります。「同情してペットのように扱っている」や「考えのない追従は盲目です」など、諦めを優しさと履き違えている部分をえぐり出します。そして劇中でサリバンもいうように、例え教師であっても自分に先生が必要であると悩むことがあり、あのサリバンでさえそうであったのだと思わされます。
私がヘレン・ケラーを思い出すときに必ず一緒に思い出すのは中村久子さんです。これは「知ってるつもり?!」を見た影響なのですが、こちらのサイトの情報によると 1999.11.21 の放送だったようです。今思い出しても「知ってるつもり?!」にはいろいろと教えられたと思います。最近はこの手の番組がなくなったのがとても悲しいです。
「奇跡の人」を観ているときに思ったのは、家庭教師というつながりで「The Sound of Music」でした。西欧における家庭教師のあり方がどこか共通していると感じたからだと思います。
・・・とここまで書いて、関連する項目を Wiki で読んでいました。
初めて知ったことに「奇跡の人」とはアン・サリバンを指すのだそうです。原題は「The Miracle Worker」で、これを知れば一目瞭然です。邦題のもたらす曖昧さから 奇跡の人 = ヘレン・ケラー という誤解が浸透してしまったようです。私もそのうちの一人でした。また映画の内容として「奇跡の人」と「The Sound of Music」のどちらもが、演出によって現実とは離れた内容になっている箇所があるとのことです。
「奇跡の人」では例えば井戸の水に触れて「ウォワァー」とヘレンが叫ぶシーン。サリバンの手記「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」によると、ヘレンにかかる水とそのときに綴った w-a-t-e-r の指文字によって、ヘレンに言葉の認識が生まれたようだ、ということになるようです。ここではヘレンは言葉は発していません。
また「The Sound of Music」においても、マリアの著作の映画化と関連権利のすべてを売ってしまったため、夫であるゲオルグの書き方を改めてくれと脚本家に要求しても、結局はとおらなかったようです。どういった部分であったかは詳しく調べてはいませんが、厳格でありすぎる部分かな、と思っていしまいます。
映画という娯楽を提供する立場としては如何に興味深く作るかが重要であり、興業の成否が常に問われます。伝記ものの映画を作る難しさを考えさせられます。しかしこの「奇跡の人」の演出は、その後のヘレンの人生の幕開けであり映画のクライマックスでもあるこのシーンで、言葉という新しい認識をサリバンが教えヘレンが悟った記念すべき出来事を、観客に雄弁に伝えています。現実的にはヘレンは声に出して「ウォワァー」とは言わなかったのでしょうが、彼女の心の中は言葉であふれかえっていたことでしょう。それを演出するにあたってヘレンに叫ばせたことは、誤解を生む原因となったかもしれませんが、実際を知った上ではヘレンの心の声を代弁していると十分に感じることができます。
2006年01月17日
雲のむこう、約束の場所
雲のむこう、約束の場所
http://www.kumonomukou.com/top.html
去年の年末に BS2 で放送していたのを録画していたのですがなかなか観る機会が無く、やっと最近観ることができました。映像の美しさは「ほしのこえ」のときからの折り紙つきで、今回も新海誠さんのつくりだす美しい映像美を堪能することができます。
空や草花などのシーンは前作の「ほしのこえ」でも十分に観ることができましたが、今作には水辺のシーンが多く登場します。水没しかけた駅のホームなどは非常に好きなシーンです。少し水没し、水面からはかつての町の風景が見えるシーンなどは、鶴田謙二さんの「水素」や宮崎駿さんの「ルパン三世 カリオストロの城」などを思いおこさせます。
感想としては、前作の「ほしのこえ」も今回の「雲のむこう、約束の場所」も、私にはよくわからない、というのが第一印象です。細部ばかりに目がいってしまい本編を楽しむことができなかった、という感想です。これら 2 作品に共通してるのは、舞台設定が SF の上に成り立っているという箇所です。私が新海さんの作品をはじめて観たのは、多分「第 12 回 CG アニメコンテスト入選作品上映会」での「彼女と彼女の猫」がそれだと思いますが、これは SF ではなくファンタジー(といってしまっていいでしょうか?の)作品で、細部に目を向けることなく物語の中に入り込むことができた、と記憶しています。
SF 作品の難しいところは、状況の設定に説得力をつけようとするとその説明を正しく行わなければならず、それがしっかり行われていない場合には全てのつじつまがいい加減になってしまう、といったところだと思います。その状況を設定する意味がなくなってしまうということです。新海さんの作品には「こういった映像を作りたいからこういった脚本で」といったような、まず映像ありき、を感じてしまうことがあります(CG 映画ですのでそれもウリの一つであると思いますが)。真剣な SF チックであるがために感じてしまう違和感があるのかもしれません。「雲のむこう、約束の場所」の「夢」の話などは「うる星やつら4 ラム・ザ・フォーエバー」を思い起こさせます。
次回作品では SF の路線はとらずに(または抑えて)、ヒューマンドラマの路線を期待してしまいます。もっと個人個人を掘り下げていってもらいたいと思います。
2005年11月06日
スウィングガールズ
スウィングガールズ が地上波初登場でした。ずっと見ようとは思ってましたが映画にも行かずレンタルすることもなく放送当日を迎えてしました。上野樹里ちゃんは エンジン ではじめて知ったのですが、それからは大のお気に入りです。それからは「ハウス 夏に効くカレー」や「花王 クリアクリーン」の CF など、気にして見ています。
以下、ちょっとネタバレです。
劇中、上野樹里さんの妹役の子が「スペースチャンネル5」をしていますが、これが演奏会の演目にもなっています。これにはやられましたね。「そのためのフリかー!」と思わず思ってしまいました。その他の演目は「A列車で行こう」や「SING SING SING」などのビッグバンドのスタンダードです。
「SING SING SING」をはじめて意識して聴いたのは「めざましテレビ」だったと思います。当時(4~6年前?)は結構 Jazz の曲が使われていました。今でも使われているんでしょうかね?最近ではあの時間に起きれなくなってます;-)
これはその「SING SING SING」も収録されている「BENNY GOODMAN At Carnegie Hall 1938」です。カーネギーホールはそれまでクラシックのみを演奏していたホールでしたが、ここから Jazz 演奏の歴史がはじまります(これはちょっとうろ覚えだったのですが、検索してみるとあっているようですね)。劇中の演奏会でのアドリブとこの CD のアドリブを聞き分けるのも面白いと思います。
2005年10月20日
FF7AC
FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN を見る機会があって鑑賞しました。感想としては、意外とがんばってるなー、というところです(ちょっと冷めてますね…)。というのも 私の苦手な SQUARE くささが健在で(これがないと SQUARE っぽくないという人もいると思いますが、どうも苦手です…)、あとやはり視覚的な効果がゲームと切り離せてないな、と感じたりする部分がありました。
また照明効果に関しては、どういった狙いだったのかはよくわかりませんが(暗澹たる曇天なる世界を狙っていたからかもしれませんが)グローバルイルミネーションによる処理がほとんどで、直接光の効果はあまり使われていなかったように思います。このエントリ にも書いているように私は梅雨の日本のような間接光によって照らされた世界が嫌いで、直接光による強烈なコントラストのある世界が好きです。その点では一番よかったのはエンディングになります。
エンディングでは FF7AC のイメージソングである氷室京介の CALLING が流れます。これには一番驚かされました。まさかヒムロックとはと。この一点だけで FF7AC の印象の悪かった部分を全て帳消しにしてもいい気分になりました。
その他気になった点は、格闘シーンにおけるモーションブラーの弱さ(無さ?)です。バイク上での格闘ではそれなりに使われているように感じたのですが、バイクを用いない肉弾戦(?)での格闘ではほとんど fixed な(用語が適当でないですね…)モデルの動きしか感じられませんでした。動きが速いカットでモーションブラーの効果がないことで、よりゲームっぽい映像として感じてしまったのだと思います。
2005年10月14日
TGSフォーラム 基調講演
ずっと見ようと思っていて放置していた、東京ゲームショウでの任天堂社長 岩田 聡さんの基調講演をやっと見る時間ができました。
任天堂株式会社 東京ゲームショウ2005 TGSフォーラム 基調講演 ゲーム人口の拡大に向けて ~ゲーム産業に今、何が必要か~
http://www.irwebcasting.com/050916/02/eec05e89e7/main/index_hi.htm
約 48 分という長丁場ですがまだ見ていない方には是非オススメします。世間で「ゲーム離れ」という現象が言われるようになって久しいのですが、任天堂がこの 2 年間どのように取り組んできたか、これからのどのように取り組んでいくかに関して言及されています。
特に注目した点は、講演の中盤・約 26:30 くらいの時間ですが
といった内容のアタリですね。Revolution (据え置きゲーム機)での取り組みに関して
いかにゲーム人口を拡大し、
市場を発展させていくか、
ということを最も重視している
ということを挙げていますが、これは現在のように高度に複雑化したゲーム環境の中では最も重要なことの 1 つだと思います。
誰もが同じスタートラインで新鮮に楽しめることが何より重要
言うなれば、現在のゲーム環境は行き着くところまでいってしまった MMORPG のようなもので「新規参加者には敷居が高すぎる」と換言できると思います。「せ~のっ」ではじめていた頃は楽しいのですが、時間が経過し、レベル差が付き、経済格差があまりにもついてしまった MMORPG ほど新規参加したくないゲームはありません。熟練者は既得権益が崩されることは好まないでしょうし、初心者はあまりの差に愕然として楽しむどころではなくなってしまうからです。私はオンラインゲームは好きですが時間が経過した MMORPG は絶対にやりたくはないですね。
さて内容についてはこれくらいにして岩田さんの講演の手法に関してですが、話すスピードや声のトーンがとても素晴らしいですね。話に聞き入ってしまいました。プレゼンテーション技術の勉強に非常によい参考になると思います。