2006年07月08日
2006年07月03日
ギャルサー(3)
- FLaMme HomePage [Talent Profile - 戸田恵梨香]
http://www.flamme.co.jp/ErikaToda/flm_profeto.html
- 上戸彩Official Site
http://www.uetoaya.tv/index1.html
この場面は最終話の一話前、ものの 1~2 秒程度のアップですが、ここは彼女の魅力が凝縮されている重要な場面です。この画像はそれ程アヒル唇ではありません(その部分だけ抽出すると表情がよくないためです)が、動画で確認すると一目瞭然です。DVD が出たり再放送されたら是非確認してみて下さい。
さて「ギャルサー」ですが、このクールのドラマでは意外と面白かった部類に入ります。視聴率的にはそれ程よかったわけではなかったようですが、私はこういったドラマは大好きです。ゆるいギャグ満載で、うまい感じでヒューマンドラマ系に仕立てていたと思います。しかしこれはあくまでも方向性の問題で、細かく見ていくと突込みどころ満載なため、そっちをつついてしまうと面白くはありません。
しかし残念だったのが鈴木えみちゃんの使われ方です。ここでも書きましたが、あまり評価できる形ではありませんでした。彼女をうまくドラマで使うのは難しそうですね。漠然と、存在感は薄いが重要な役回り、といった役が彼女にはあうのかな、と思いました。
2006年07月02日
片瀬那奈、デスノート後編に
- Yahoo!ニュース - スポーツニッポン - 片瀬那奈「デスノート後編」に出演
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060702-00000022-spn-ent
片瀬は物語がクライマックスに向かう中で、重要な鍵を握る報道記者を演じ「原作と違った観点で、おもしろい役柄になっています」と期待を膨らませた。とのことです。自分的にはかなりサプライズ!
しかし深夜放送された前編の数分を見ましたが、あれでは映画を見にはいかないと思います(^^; 片瀬さんはモデルの頃からずっと好きで、CD なんかもほぼ全て持っています。あ、「ヒカルの碁」でオープニングテーマを唄ってたのも微妙に縁を感じましたね(笑)
2006年06月26日
ワールドカップ
なんか予選敗退してからのマスコミ・TVの反応が、如何ともしがたい予定調和的な反応で・・・。
この辺の業界って、いつまで「持ち上げて落とす」を繰り返すんでしょうね。熱しやすく冷めやすい国民性の上澄み、と言ってしまえばそれまでですが、「ネガティブキャンペーン」といわれても、今更「こうなることは予想してました」的なことを言う人は敗退が決定する以前からそれを表明しておくべきですよ。
これが「GHQ に占領された後の風景」だったんだろうなと、想像力を働かせるまでもなく見れるのが不思議な気分です。まだまだ日本人は戦後に生きているんですよね。
2006年06月25日
崩し
- 帯をギュッとね! - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%AF%E3%82%92%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%83%83%E3%81%A8%E3%81%AD!
もう「帯ギュ」を最後に読んでから何年たっているかわかりませんが、いろんなニュースを見るたびに思い出すのが「崩し」に関してです。
何巻の何ページであったかはもう忘れてしまいましたが、巧が現役の警察官に稽古をつけてもらう場面です。組み合ったときに、その警官(確か柔道部顧問の倉田龍子の兄だったかな?)が巧の胴着を少し上に吊り上げます。そのまま巧みは投げられることになりますが、投げられた後の巧みの質問にその警官は「あれは一種の崩しだ」と答えます。
高段者の振る舞いに対しては得てして低段者の理解は及びません。「物がみえている/みえていない」といったような言葉がありますが、この辺はそれに由来するものだと思います。上手にあるものは、かといってそれを露骨(臭くならない程に、程度の意)にするわけではなく、それと知れずにうまく分からせる技術にも長けるべきだと私は考えます。
この「崩し」の一例としては、今クールのドラマ「弁護士のくず」にそれを見ることができます。それでもこれはドラマ(というか原作マンガな分)、意外と露骨な形でそれがわかります。そしてそれは視聴者がそれを露骨と感じる分、意外と製作サイドの露骨な部分が中和されて感じます。露骨さを愛嬌と感じる、と言った感じですね。
最近の悲惨なニュースを見てると、みんな「崩し」という人と人との接し方を知らなかったんだろうな、と感じます。正面から「力 vs 力」でガチに組んでしまって、ひくにひけないところまでいってしまったんだろうな、と。日本のような「本音」「建前」前提な複雑な社会は、そういった力の入れ方・抜き方・崩し方が、変な意味で処世術として重要なウェイトを占めるのかもしれません。
私はよく、「それって感情論じゃん」ということを考えますが、意外と感情論というのは重要かも、と最近では考え始めています。