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2005年11月07日
俺が、つくる!
久しぶりに読んでいてワクワクする本でした。口語調の文体で、こぎみよく話が進みます。それでもやはり今だからこそ読まれる本であり、本書でも語られていますがバブル期には異端視扱いされる内容だとは思います。そんな本であるためバブルに踊った企業などには「ザマミロ!」と言ってのけるだけの力があります。
本文中、新しい発見だと思ったのは
特許は大会社と連名で取るのが一番いい。開発者と申請者という立場で特許を取るんだ。という部分。名より実を取る、というか、零細企業にとっては結果的には名と実をいい割合で取れるのがこの「連名で取る」になることが簡潔に説明されています。この辺は自然世界にもある「共生」のカタチに近いのかもしれません。特許に関しては青色発光ダイオードの例が印象に大きかっただけに、この発想の仕方には新しさを見てしまいました。
そして本文の最後ではマイクロソフトの戦略を見てるような気分になりました。
途中であきらめてしまうから本当の失敗になる。あきらめずに挑戦し続ければ最後にはできる。これはマイクロソフト的ですね。勝つまで続ける。だから最後には勝つ、という方法。
全編を通して様々な示唆にとんだ「岡野語録」が収録されており、文字数もそんなに多くないのでマンガを読み返す程度の気楽さで読むことができます。気分が沈んでいるときや盛り上げたいときには一読する本になりそうです。特に名前がいい。「俺が、つくる!」ですよっ。
さて、この本とは別に岡野工業の取材をしていたテレビ番組を以前みたことがあったんですが、あれは何の番組だったんだろう?プロジェクト X と検索しても出てこないから、また何か別の番組だったんだろうと思いますが、まったく思い出せません。そのときは「痛くない注射針」の取材ではなくて「リチウムイオン電池ケース」の方だった気がするので随分前になるのかな…。HDD レコーダを持っていた気がするので 2,3 年以内だとは思うのですが。
俺が、つくる! ISBN:4806117609
2005年11月06日
翔ぶが如く(8)
第八巻をひらいてまず驚いたのが章立ての多さです。「人馬」からはじまり「野の光景」で終わる 15 章の構成です。これを七巻までと比べてみると以下の様になります。便宜上、最終巻である十巻までまとめると
- 一巻 8 章
- 二巻 7 章
- 三巻 10 章
- 四巻 6 章
- 五巻 10 章
- 六巻 9 章
- 七巻 7 章
- 八巻 15 章
- 九巻 11 章
- 十巻 11 章
1 章である「人馬」には興味深い逸話として、維新前と維新後の西郷の変わりように関する記述がみられます。この変化に関して、鹿児島では病理的な原因があったのではないか、と極めて密かにではあるがささやかれているとのことです。こういった逸話はこの本を読むまでは全く知らなかったことです。遠い記憶を呼び戻して「知ってるつもり!?」での西郷の回を思い出してみても、出てくるのは「敬天愛人」という言葉だけです。が、この「翔ぶが如く」では未だに一度足りとも読んだ記憶がありませんね。いつから言われるようになったのか、それとも司馬遼太郎があえて外しているのか、最後まで読み解かないとこれに関する結論は得られません。
この「人馬」では西郷の変節ぶりが示されるのですが、それはこういった変わりかたです。
この記述における西郷像はこの巻をとおして貫かれており、この巻の流れをも決めています。自然、西郷に関する記述は薄くなり、西南戦争の主役は陣頭に立つ各将及び兵士、そして政府側の責任者である山県有朋などの記述が多数を占めます。しかし起つ以上は、戦いの方針その他について西郷はみずから案も練り、みずから発言し、進んでかれらを指導すべきであった。が、そのことはいっさいせず、さらに驚くべきことには、西南戦争の全期間を通じて西郷は一度も陣頭に立たず、一度も作戦に口出ししなかったのである。
維新前の西郷はそうではなかった。西郷が心服しきっていた旧主島津斉彬でさえ、
──西郷は 悍馬のようなものだ。かれを統御できるのは、自分しかいない。
といっていることからみても、西郷は斉彬に対し言うべきことを臆することなく言っていたに違いない。
「維新前の南州翁と維新後の南州翁は別人のような感じがする」
という印象が、鹿児島に遣っている。
たしかに、別人の観がある。
(中略)
この点、西郷はそのひらきが甚だしすぎるように思える。(p13~14)
西南戦争における兵の動き、軍隊の動きに関する記述は読んでいてあまり面白くはありません。これは読み手である私が文章からの場面の連想を面白く感じないからだと思います。コンピュータゲームを通して視覚的に兵の動きがリアルタイムで移り変わる様に 10 年以上もの年月で慣れてしまっているため、文章のみをとおした記述が怠惰でなりません。七巻からの巻末には地図が付加されるようになり、七巻では九州全図、八巻では熊本城から高瀬までの周辺地図が掲載されていますが、状況ごとに隊の動きを地図をもって記述してもらいたかったと思います。小林秀雄の「モーツァルト」における楽譜のように。
これとは逆に山県有朋や薩摩側の将の意識における記述には興味を惹かれます。
山県は、軍人としては物事をこまかく指示しすぎる性格のために野戦将軍にはむかない男だったが、その構想力と緻密な運営能力と、さらには物事に賭博的な期待を持たない性格から考えて、日本ではめずらしく補給の思想と能力をもった男であったかもしれないかった。(p286)
この時期の陸軍卿山県有朋は、一個の独裁者に似ていた。かれを独裁者たらしめている政治的条件は、長州人であることのほかは希薄なのだが、しかしその信念である徴兵制をかれが立案し、実施し、このために鎮台の実情をかれ以上に知っている者はなく、また他の者は山県ほどの実務の才をもっていなかったため、自然、山県一人が、動員から作戦、補給、さらには東京への政治的措置に至るまで、何もかもやってのけるということになった。後年、かれが陸軍と官僚界に法王的な地歩を占めるにいたる基礎は、このときにできあがった。言いかえれば、西郷のおかげで、この狭隘な理想しか持ち合わせていない卓越した実務家が、明治政府の権力者になりえたといえるであろう。(p288)
山県有朋に関しては私は全く知らないのですが、司馬さんのこういった記述をよく見かけます。かなり嫌われている感が読みとれます。
西郷と薩軍の作戦案は、いかなる時代のどのような国の歴史にも例がないほど、外界を自分たちに都合よく解釈する点で幼児のように無邪気で幻想的で、とうてい一人前のおとなの集まりのようではなかった。これとそっくりの思考法をとった集団は、これよりのちの歴史で──それも日本の歴史で──たった一例しかないのである。昭和期に入っての陸軍参謀本部とそれをとりまく新聞、政治家たちがそれであろう。(p81)
薩軍本営には、継続して全般の作戦を考えている参謀職の者がいなかった。
薩軍に存在するのは、実戦職である大隊長たちだけで、かれらが臨機に本営にあつまってきては情報を持ち寄り、合議するだけであった。西郷そのひとは本営の奥で象徴として起居しているだけで、作戦に触れることがない。(p252)
こういった意識の中、読んだときには信じられなかったのですが、西郷と桐野は後々には仲たがいのような状況に落ちていくようです。当初、鹿児島を出るときの私学校の政略は西郷軍が東京にせまることによって満天下の不平士族(だけでなく各地の鎮台まで)が風をのぞみ、あらそって軍旅に投じ、ゆくにつれて軍勢は雪だるまのように大きくなり、ついには東京を圧倒するにいたるというものであった。(p260)
西郷はのちに桐野と口をきかなくなり、桐野のほうでも西郷を避けるような気配を示すようになったといわれるが、西郷の側でいえば、その感情はあるいはこのときから出発したものかもしれない。
むろん、西郷の性格として桐野を責めたりなじったりすることはなかった。この男に乗せられてしまった自分に対する嫌悪が、西郷の桐野に対する感情を重くしたのではないかと思える。(p317)
このような両軍の陣営ですが、各巻のところどころにあらわれる大村益次郎の記述には、明治政府が失ってしまった偉大な人物であったことがひしひしと伺えます。
大村益次郎(村田蔵六)は「お~い!竜馬」を読んだときに知った人物ですが、このマンガではとてもコミカルな絵で描かれており非常に愛着を持ちます。以前書いた斉彬を調べてみたいと思ったのと同様、大村益次郎も詳しく調べてみたい気分にさせられる人物です。これは、明治元年、二年の間にすでに西郷が九州で反乱をおこすであろうということを予見した当時の兵部大輔大村益次郎の基本的な考え方であった。(p286)
さて、その他興味を惹かれるのは銃器の移り変わりですね。スナイドル銃、ミニエー銃などがよく文中にはあわれます。これは時間があったときにでもまとめてみたいと思います。ちょっと検索した限りでは、
などがヒットしました。やはり web は便利だ…。スウィングガールズ
スウィングガールズ が地上波初登場でした。ずっと見ようとは思ってましたが映画にも行かずレンタルすることもなく放送当日を迎えてしました。上野樹里ちゃんは エンジン ではじめて知ったのですが、それからは大のお気に入りです。それからは「ハウス 夏に効くカレー」や「花王 クリアクリーン」の CF など、気にして見ています。
以下、ちょっとネタバレです。
劇中、上野樹里さんの妹役の子が「スペースチャンネル5」をしていますが、これが演奏会の演目にもなっています。これにはやられましたね。「そのためのフリかー!」と思わず思ってしまいました。その他の演目は「A列車で行こう」や「SING SING SING」などのビッグバンドのスタンダードです。
「SING SING SING」をはじめて意識して聴いたのは「めざましテレビ」だったと思います。当時(4~6年前?)は結構 Jazz の曲が使われていました。今でも使われているんでしょうかね?最近ではあの時間に起きれなくなってます;-)
これはその「SING SING SING」も収録されている「BENNY GOODMAN At Carnegie Hall 1938」です。カーネギーホールはそれまでクラシックのみを演奏していたホールでしたが、ここから Jazz 演奏の歴史がはじまります(これはちょっとうろ覚えだったのですが、検索してみるとあっているようですね)。劇中の演奏会でのアドリブとこの CD のアドリブを聞き分けるのも面白いと思います。
2005年11月05日
CAMEDIA C-760 Ultra Zoom
久しぶりにデジカメを購入しました。OLYMPUS の CAMEDIA C-760 Ultra Zoom です。デジカメは 2 台目で、初代は FUJI FILM の FilePix 1500 でした。これは 2~3 年使って故障してしまいました。その後は何回か購入しようかとも考えたこともありましたが、カメラ付ケータイのカメラで事足りていたこともありずっと見送っていました。
ちょうど 2 年位前にも「デジカメ買いたい病」にかかったことがあり、そのときに欲しかったのは Canon の IXY DIGITAL L です。このときはお手軽なデジカメが欲しかったのと光学ズームが 3 倍あればいいなと思っていた頃で、それを基準に探していたときにちょうど IXY DIGITAL L が発表されました。光学ズームがなかったのが購入を見送った理由ですが、やはりケータイで十分と思ったことが要因だと思います。
そして今日ですが、今回は適当にデジカメを検索していたところ、光学 10 倍で実売価格が 18,800 円で 3.2 Mpix のこのデジカメを見つけました。現在でも新製品では熾烈な画素数戦争が行われていますが、5 Mpix とかとなるともう私の環境の中では傑出した存在となってしまいます。バランスを考えると 3.2 Mpix でも十分です。通常撮影するサイズは 1600x1200 くらいにしようか、HD 素材として考えると 2048x1536 にしておいたほうがいいかなとか、つかの間の楽しみに浸っています:-)
2005年11月03日
2005年11月01日
2005.11.01
東証でシステム障害 史上初の全銘柄売買停止
http://www.asahi.com/business/update/1101/071.html
原因は「調査中」とのことです。詳細が気になるところです。スラドのスレッドはこちら。
フジ月9「西遊記」旅の仲間は揃った!三蔵法師に深津絵里
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051101-00000030-sanspo-ent
深っちゃんですよっ。夏目雅子さんモノしか見たことがありませんが今回のは見ます。しかし深津絵里さんはもうオトボケ配役はなかなかやらせて貰えなくなってますかね。
東証の障害に関しては www.asahi.com の続報で詳細が明らかにされました。
東証によると、障害の原因は、10月8日から10日にかけて実施した売買システムの能力増強の際、導入したソフトに欠陥があった、としている。東証のシステムでは毎朝、証券会社から売買注文を受け付ける前に、サーバー内で各証券会社の端末を照合する手続きを行うが、増強したソフトの不具合で、照合に必要なデータの場所を検知できなかったという。とのことです。ソフト的な障害だったようです。