2010年01月16日
タイムパラドックス/マシン/トラベルもの (2)
時間跳躍ものです。こちらのサイトで紹介されている作品を少しずつ読んでいます。
- 時間旅行~タイムトラベル
http://time.diji.boy.jp/
現在までに読んだ作品は、『タイムリープ』と『猫の尻尾も借りてきて』。
この『猫の尻尾も借りてきて』の方は現在絶版になっており、いろんな古本サイトで探したのですが全く見つかりません。そのため国会図書館まで行って読んできました。
以下、ネタバレがあるかもしれません(前のエントリで書きましたがこういったカテゴライズ自体、既にネタバレを含んでるんですよね)。
どちらも日常生活の延長線上での時間跳躍を扱った作品で、ものすごいハード SF といったスタンスではありません。そういった意味では『バックトゥザフューチャー』なんかも日常生活の延長線上ですね。どうもタイムマシンという単語を聞くと SF の方に意識が向かってしまいます。
さてこれらの作品ですが、分類としてはラノベなのでしょう。『タイムリープ』もそうだったのですが、『猫の尻尾も借りてきて』は会館中に読みきれるかな?と思って出かけ、しかしサクっと読み終わってしまいました(国会図書館は貸し出しをしない)。
これらの作品を読もうと思ったきっかけは『シュタインズゲート』で、意識的にこういった作品を期待して読み始めました。が、やはり『シュタイズゲート』は特殊なんでしょうね。『タイムリープ』も『猫の尻尾も借りてきて』も小説としてとても面白く読めましたが、何か満たされない思いが残りました。時間跳躍モノに慣れてきてしまった、という自分自身の変化があったのかもしれません。
または小説とゲームという「場」の違い。作品に向き合っている「時間」の違い。「場」という意味では小説は一方的に読むばかりですが、ゲームでは自分から物語りに介入することができます。自分の選択が物語の方向を決めてしまいます。また「時間」という意味では、先ほど「サクっと読み終わってしまった」と書いたように小説は数時間、しかしゲームの方は 30 時間を越えて接していました。
時間跳躍モノの楽しさはそれとなく事前にネタが仕込まれており、それが物語が進むにしたがって明らかになっていく過程、であると思います。これはこういうことだったんだろう、ああいうことだったんだろう、という推理小説に近い感じですね。そしれそれらの謎が回収された後の、物語としての面白さ。
とりとめもありませんが次に『マイナス・ゼロ』が控えていますので、またそれを読んでみて変化があるか感じてみたいと思います。
2010年01月08日
タイムパラドックス/マシン/トラベルもの
シュタインズゲートからの流れで非常にこの分野に興味がわいています。しかし物語を楽しむことに関して、ネタがタイム*ものである場合にはそれをどこまで情報開示しておくかは非常に難しいところですね。
例えば、「タイムパラドックス/マシン/トラベルものでオススメの作品はありますか?」という質問があった場合、それに対して答えられる作品は絶対にタイム*ものになります。しかし作品中、序盤ではそのことが語られず物語が進むにしたがって次第に時間に関連した物語であることが分かる場合などでは、前提情報はなるべく排除されていた方が面白いと感じるはずです。最初から時間ものであるということを知っていた場合その先入観によって思考が強制されますし、ネタの方向性が事前にわかってしまうのでは面白くありません。
幸いにしてシュタインズゲートは作品紹介及び物語の冒頭から「電話レンジ(仮)」というものが重要なキーアイテムとなっており、それがヒキのひとつにもなっています。事前にこのように情報が開示されている作品はいいのですが(「Back To The Future」などもこれに入りますね)、例えば「○の○○」といった映画など、結果として時間が重大にオチにかかわって来る作品などは質問者に回答したくはなりますが、ネタがネタだけに教えることを躊躇します。
この辺、うまく説明/回答するいい方法ってないですかね?ものすごいジレンマです。
2009年10月08日
ローゼンメイデン
- もものたね**ローゼンメイデン
http://p-pit.net/rozen/ - PEACH-PIT' days
http://blog.p-pit.net/ - ローゼンメイデン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/ローゼンメイデン - ローゼンメイデン - Web YOUNG JUMP
http://yj.shueisha.co.jp/manga/rozen/ - ローゼンメイデン|VOLKS INC.
http://www.volks.co.jp/JP/rozen/index.html
ヤンジャン版の連載中のコミックを買ってしまったのをきっかけに、今更はまっています。読み終わってから即行、コミックバーズ版の Rozen Maiden も購入してしまいました。これは面白い、どはまりですね。
2006 年のワンフェスでローゼンピンキーを見てはいたのですが、
あまりよく知らなかったので、その場では即購入には至りませんでした。すぐに原作を見ておけばよかった。。意外とこういうことは多いので、気になったものは少しでも早く確認しておくことが重要ですね。
2009年09月21日
文學ト云フ事
「妄想姉妹 〜文學という名のもとに〜」の絡みで「文學ト云フ事」を検索してみたら YouTube に意外とアップロードされているじゃなですか!
第一回だけリンクしますが Wikipedia によると全部で 22 話分あるようです。なつかしい。。そうそうこれ、予告編の映像を作って流す番組だったんですよね。最後の決め台詞は「さぁ、解禁です」だったと思いました。映像を見た後でやっとその本を読むことが解禁になるという。
理系に進んでしまってからあまり本も読まなくなりましたが(進む前もあまり読んでなかったかも(汗))、本好きな人と話をすると何故昔いろいろと読まなかったかなぁ、という思いに駆られます。今からでも遅くは無いんでしょうけどね。
2009年09月20日
妄想姉妹 〜文學という名のもとに〜
- 妄想姉妹
http://www.ntv.co.jp/mousou/index.html - 妄想姉妹〜文學という名のもとに〜 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/妄想姉妹〜文學という名のもとに〜 - DVD「妄想姉妹」アミューズソフトエンタテインメント
http://www.amuse-s-e.co.jp/mousou/ - 妄想姉妹 文学という名のもとに [DVD]
古い洋館に住む美しき3姉妹。
亡き父を思い偲ぶかのように過ごす彼女らのもとにある日手紙が届く。
それは20年前に謎の死を遂げた亡き父からの手紙であった!
その内容は、「20年後の娘たちへ。これが私の秘密。私の愛」と。
そして、その手紙には、鍵が入っていた。その鍵は、書斎の金庫を開ける鍵だった。
その中には、11冊の本が。彼女達は、1冊ずつ読んでいくことを約束しあう。
自分の名前を同じ登場人物に重ね合わせながら繰り広げられる「妄想」の世界。
父親が遺したこの本にこそ、それぞれの母親の謎を解き明かし、
自分の母親が一番、父親に愛されていたことを証明する真実が込められていると信じて。
紺野まひるさんを検索していて、ふと、このドラマの情報を見つけました。文学絡みの深夜放送としてはかつて CX で深夜に放送されていた「文學ト云フ事」を思い出します。このドラマを見つけて 1 ヶ月くらい、まとまった時間が取れず見られずじまいだったのですが、この連休を使って全話視聴することができました。
第一話 | 与謝野晶子 | 「みだれ髪」 |
第二話 | 夏目漱石 | 「虞美人草」 |
第三話 | 堀辰雄 | 「風立ちぬ」 |
第四話 | 泉鏡花 | 「外科室」 |
第五話 | 高村光太郎 | 「智恵子抄」 |
第六話 | 坂口安吾 | 「白痴」 |
第七話 | 江戸川乱歩 | 「お勢登場」 |
第八話 | 太宰治 | 「女生徒」 |
第九話 | 樋口一葉 | 「にごりえ」 |
第十話 | 芥川龍之介 | 「藪の中」 |
第十一話 | 夢野久作 市川草太郎 | 「瓶詰地獄」 「白女」 |
文学を扱ったドラマであるため、非常に凝った構成になっています。各話それぞれ異なった文学作品が紹介され、それが背景にある大きな物語をあらわすパーツとして扱われています。
最近、本をとてもよく読んでいる知人が紹介してくれた作品に夢野久作の「瓶詰地獄」あり、このドラマの最終話で扱われる作品も「瓶詰地獄」であったことから、非常に興味をそそられるドラマともなりました。
先入観無く第一話から観始めましたが、読んだことのある作品はほんの数話分だけでした(^^; やはり自分はあまり本を読んでいなかったんだ、と感じさせられた瞬間です。その知人はほぼ読んだことがあるんだろうな、とも。物語上、三女の市川節子がその物語のさわりを簡単に語ってくれますが、こういう物語の進め方が自分は好きなんだろうな、と再認識しましたね。うる星やつらのしのぶの語り部的な役回りです。
序盤は単に深夜放送というコンテキストで続いていくのかと思わせておきながら、中盤~終盤にかけてはミステリー的な要素もあいまって、最終話においては「こう来るか!」という見事な作品に昇華されています。こう持っていこうと考えておきながら時間帯のコンテキストを忘れないのはさすが、というところでしょうね。
登場する女優は、長女:市川晶子に吉瀬美智子さん、次女:市川藤尾に紺野まひるさん、三女:市川節子に高橋真唯さんです。高橋真唯さんはアミューズなんですね。クロサギにも出ていたようで、意外と見ていそうです。このドラマで要チェックになりました。
2009年08月05日
本田宗一郎 夢を力に
- 本田宗一郎夢を力に―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)
本田 宗一郎
ISBN-10: 453219069X
本のエントリを書くのは久しぶりです。いろいろと買って読んではいたのですが、なかなか書くタイミングがつかめずにそのまま読んで放置になっている本がたくさんあります。しかしこの「本田宗一郎 夢を力に」は、読み始めから無理でした。エントリをおこさずにはいられないくらいはまってしまっています。
まだ 10 ページくらいにも満たないのですが、系統的には岡野本と同じ雰囲気を感じます。技術者の本だ、というそれです。理系の特に技術系の仕事をしている人にはうってつけな本でしょう。少しへこたれたときや気分が乗っていないときに、ぐいぐいと何かを作りたくなる衝動に駆り立てられる内容です。
この本を知ったきっかけは、どのサイトだったか分かりませんが以下のエントリにリンクがあったことだったと記憶しています。
- 官僚たちの夏 | ある女子大教授の つぶやき
http://iiaoki.jugem.jp/?eid=3145
しかしこのセリフ、どの本の内容なんでしょうか?引用の仕方がよく分かりません。。
2009年04月28日
正論のつよさ
タイトルを「強さ」にしようか「鋭さ」にしようか迷いました。「鋭さ」にすると「正論としての確度」的なニュアンスが強くなると思い「つよさ」にしました。というわけで「卵と壁」の続きです。
気になっていた「正論原理主義」という言葉ですが、ちょっと自分の想像と異なっていました。コンテキスト的には以下などを参照してください。
- 「正論原理主義」を乗り越えて:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan
http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2009/03/17/entry_27021160/
私の解釈では「ある方向から見ると正しい理論をその方向からのみ見て声高に叫ぶ。そのコンテキスト上では正論であるから。他の理論が現れてもコンテキストが違うことを認識せず、自分のコンテキスト上の結果(正論)とは違うことのみをあげつらい、排斥をする」、といった感じです。
簡単に言うと、コンテキストの認識の仕方の差が結果に影響を与える、ということになります。立場の差、といってしまってもいいかもしれません。ここで立ち戻りたいのが「卵と壁」です。
この「卵と壁」に対して「正論原理主義」をそれぞれかけた場合には、彼はどのように判断するのでしょうか。
- { 卵・正論原理主義 : 壁 }
- { 卵 : 壁・正論原理主義 }
最近自分の思う「正論のつよさ」とは、立場がどんなに劣勢でも負けることの無い「つよさ」を考えてしまいます。ズルい強さ、といってもいいかもしれません。「無く子と地頭には勝てぬ」や最近の「エコなんとか」などはズルい強さ、だと思います。女性の涙や非暴力不服従なんかはどうですかね。これらはコンテキストよりな気もします。
そしてもっとも厄介なのが、相手が間違っていると大多数の人が見て分かる状況にもかかわらず相手は振り上げた拳の下ろし場所が無く、こっちは正論であるために譲歩をしづらい場合。この場合のつよさを和らげる方法は、、意外と諺なんかあるんでしょうか?
2009年03月19日
卵と壁 - 村上春樹「エルサレム賞」受賞スピーチ
- 【英語全文】村上春樹さん「エルサレム賞」授賞式講演 - 47トピックス
http://www.47news.jp/47topics/e/93880.php - 【日本語全訳】村上春樹「エルサレム賞」受賞スピーチ - 47トピックス
http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php - 文藝春秋|雑誌|文藝春秋_090401
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/
ニュース番組でちょっと見かけて気なっていたものです。未来のいつか/hyoshiokの日記のこのエントリで文藝春秋に載っていることを知り、つい先日やっと読みました。この本には受賞スピーチの日英文以外にも「僕はなぜエルサレムに行ったのか」というインタビュー記事があります。スピーチ文とスピーチに対するブログ記事だけでなく、このエルサレム賞を受賞する(辞退しない)に至った彼の考え方と、なぜ今回のこの行為がこれだけ話題になったのかというコンテキストを理解するためにも、このインタビュー記事もあわせて読むことをおすすめします。
さて、私は最初にスポットニュースでこの話題を知りました。最初のそれは「あえて発言をするために授賞式に行くとは剛毅な人だなぁ」という思いと、(村上作品は「ノルウェイの森」が話題になったときに読もうと思ってモノの数ページで挫折したな・・・その後だいぶ時間をおいてからまた何か読んでみようと思って傑作だという話をどこかで耳にした「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読んでみたけどやっぱ合わなかった・・・けど「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」は違和感無く読めたよな・・・あ、でも彼の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は読んでないか)、という関連記憶がよみがえってきました。
そんな心象状態で文芸春秋のインタビュー記事からまず読み始めました。読んでいくうちに、彼のコンテキストには昔からこの「卵と壁」という対立構造があるのか、と「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の内容を思い出すことになります。そういった観点で考えるとこの小説もまた違った面白さを読み取れるものなのか、と妙に納得するのと同時に、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」や「モモ」を思いました。これらに共通するのが「システム」です。
もっと簡単な例だと「十戒石版」ですかね。これは「卵」から「壁」になる面白い話しだと思います。自称「卵」が、いつのまにか周りからは「壁」になっている、という見方は誰にでも適用でき、それはきっと村上春樹さんに対しても成り立ちます。
(正論原理主義とかまで全然いけなそうなんで、また続き(?)で)