2009年08月08日

準備不足

何事も予想通りには進まないわけで、それを準備不足というのか柔軟性に欠けていたというのか、久しぶりに反省です。

成功は99%の失敗に支えられた1%だ

という本田宗一郎の言葉を思い出して前向きに考えましょう。そして、

負けじゃない。勝ちへの途中。

というバガボンドを胸に!


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2008年01月07日

アルケミスト

  • アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫)
    パウロ コエーリョ 著
    山川 紘矢, 山川 亜希子 翻訳

読み終わった瞬間に感じたことは、自分の本の読み方と友達のそれとの違いです。自分の場合は「これをしたらいけない、あれをしたらいけない」といったマイナス方向の指標としてそれを読むのに対し、友達は「これをしたらいい、あれをしたらいい」といったプラスの部分を読み出します。

そしてもうひとつが自分の場合には「この部分はあの本と似ている、あの部分はその本で言及されているよね」といった相関を必ず考えてしまうのに対し、友達はその点に関しては何も言いません。注目しているのは、常に読んだこの本、に関してだけです。

この休みは「自分の話はよく飛ぶ」ということを再認識させる期間でした。起承転結を例に取れは、起転転転・・・といったところです。よくよく見てみればそれらの「転」は関連のあるものたちなのですが、「結」の説明が無いために独立した話が延々と飛んでいきます。スタックが破壊された実行コードのように。

ここで書いた「山月記」にしても、まさしく飲んだときの自分は虎だなぁ、と思い至ります。

酔わねばならぬ時が、(虎に還らねばならぬ時が)
山月記 中島敦

と書かれている部分に初めて戦慄を覚えました。

アルケミストで語られる内容で、重要な要素として「前兆」があります。自分はこの本を読むための前兆にしたがって、きっと山月記を思い出し、そしてアルケミストにたどりつく話を導いたのだと思います。今日この本を読めたことをきっと忘れないでしょう。


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2007年12月02日

違和感の正体?

IM が面白い変換をしました。「正体」を「招待」。意外とそれかもしれませんw

さて「ぼんやりとした」がよく当てはまると書きましたが、その直後に思ったのが、これです。

草薙 : 課長、あたしはナナオの捜査から外れるわ。それから、パズとサイトーをこっちに回して。
荒巻 : どうするつもりだ?
草薙 : 警視総監の護衛につく。課長の推理当たってると思うけど、どうしても一つだけピースがはまってない気がするの。その為に警視総監に張り付く。そうしろって囁くのよ。あたしのゴーストが。

実際、今回地元に戻ったのもサンプリングが足りない、つまり張り付いてみてみないとわからない、という状況がそうさせたわけですし、意外とこっちの方が的を射ている、という気がします。・・・やはりもっと張り付いてみる必要がありそうです。


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2007年05月22日

おもしろきこともなき世をおもしろく

おもしろきこともなき世をおもしろく

突然虚脱感に襲われることがあり、そんなときはマイナス思考が先行することが多いと思いますが、今回思い出したのは何故か高杉晋作の辞世の句です。この句に込められている気持ちは、何といいましょうか、プラス思考の塊、と言い切ってしまうには抵抗があり、前提としておもしろくない世が横たわっています。それはどうしようもないわけではなく、それをおもしろく変えることは可能であり、彼はそれを実践してきたことでしょう。しかしそれも十分ではなく、だからと言って変えられないかと言うとそうでもありません。

プラス思考というか、誰かがまだ希望を見ている、というときに思い出す場面はナウシカにもあります。・・・今ちょっと探しただけでは見つかりませんでしたが、ミトが言ったセリフにそれがあったと思いました。週末にでも読み返してみようと思います。


投稿者 napier : 01:35 | トラックバック


2007年02月12日

愛がない

ハチマキ : だいたいなんだっつーの
テメーのその「愛」ってのは!?
思い込みじゃねーってんなら
定義を明確にしてみろ!
存在の証明をしろ!
タナベ : うわ!
ガキ!!
一般化しなければ
理解できないなんて
科学盲信もいいとこよ!!
プラネテス 2 巻 ISBN: 4-06-328778-5

タイトルはプラネテスの登場人物であるタナベの口癖です。ここのセリフは多分マンガだけのオリジナルだと思います。このセリフを読んだときにふと思ったのが、ニーチェの言う「神は死んだ」でした。そして神が死んだとされる 19 世紀を 2 世紀ほど経て、「愛は死んだ」という時代に来たのかな、とふと思いました。

勿論、神は死んではいないでしょうし、愛は死んではいないでしょう。しかしこれを対立軸として捉えたとき、20 世紀の Love & Peace もその視野に入らざるを得ません。天上界に神がいるとされ、それが空の上にあると考えられていた時代、人の心に愛があるとされ、それを表すのが音楽だった時代を超えて、とまぁ定義定義と行くと抜け出せない袋小路に陥ってしまうんでしょうね。


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2006年12月24日

ドミノ倒しの先端

我々は消滅する媒介者となって、次の society に介入していこう。

随分懐かしくなる(?) Solid State Society のセリフです。このセリフを初めて聴いたときにも感じたことでしたが
この考え方は以前に思ったことがあるドミノ倒しの先端を思い起こさせます。このドミノ倒しの先端という考え方も、多分 NHK スペシャルの何かの番組だったと思います。遺伝子を残すということの比喩で「ドミノが媒介者」「倒されている先端が遺伝情報」だったと記憶しています。細かく見ていけば突然変異などをどのように説明するかなど難しいのですが、継続される流れという側面に関しては分かりやすい例えであると思いました。

勿論この「ドミノ倒しの先端」が遺伝情報であると仮定した場合、媒介者である「倒れるもの」はドミノで無くてもよく、それが将棋の駒であっても、本であっても構いません。これはこのエントリで示した「出生率の低下」と関連しているのでは無いかとも漠然と考えて書いてはいました。媒介者が人間でなくてもよいという「ドミノ倒しの先端」としての遺伝情報です。

まぁただこの辺は行き過ぎれば淘汰の対象ともなるもので、行き過ぎた環境適応はその環境の変化に対してとても脆くなるという側面も持ち合わせています。現在の常識で説明されるそれは、恐竜の絶滅が端的でしょう。


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2006年10月18日

草枕

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
草枕 夏目漱石

有名な冒頭の文章であり、草枕は多分読んだことが無いのですが、叔父によく聞かされていたために覚えている言葉です。

そういえば通勤時間も非常に長いので、この機会に読んでみようかと思いました。青空文庫へのリンクを張ってありますが、やはり読むとなると文庫本を買ってしまうんだろうなぁ、と思います。電子メディアでの長篇の読書にはまだ抵抗がありますね。ケータイで読む小説などがありますが、未だに一度も読んだことがありません。何でも慣れてしまえば一緒なんだろうな、とは思うんですがね。


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2006年10月15日

不条理

世の中に不満があるなら自分を変えろ
それが嫌なら耳と目を閉じ孤独に暮らせ
それも嫌なら・・・

ま、これ絡みなわけですが、今だ引きずってるということです。人がそれぞれ経験する事象というのは、世の中の全ての事象に比べれば本当に小さな領域に過ぎません。それぞれがそれぞれの経験の中で培ってきた経験を元に判断する正義という事象も、言うまでも無くそれまでに触れてきた経験の中で培われて来た中における答えであり、それが本当の答えであるという確証は無い筈です。勿論「本当の答え」という定義の差にもよりますが。

自分の中の正義とは別に、社会という自分の存在する基盤の持つ正義が存在します。過去の例をとると簡単に理解が出来ると思いますが、ガリレオ・ガリレイコペルニクスなどは端的に挙げられる人物だと思います。

さてそんな中で、こういった前提もあるということをどれだけの人が考えて行動しているのか。勿論私の前提はこれですが、対象となる相手の前提もまたその人の経験の中で培われたものであるということも忘れてはなりません。理解できるかどうかは別として。


投稿者 napier : 20:44 | トラックバック


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