曇りの一日だったようだ。外の天気の記憶はほとんど無し。
午前 0 時を回り、陣痛は続いている。周期は更に短くなってきており、腰の辺りをさすっていると痛みがまぎれるようなので助産師さんと交代でさすることに。周期が長いときには痛いときだけさすっていればよかったのが、周期が短くなってくると常時さすっていないといけないくらいになってきた。
嫁は横になると気分が悪くなるようで、横にならずに座っている。お産には胡坐がいいということなので慣れない胡坐で分娩台の上に座っている。その左右から俺と助産師さんがサポート。座っているといっても深夜を回っていれば睡魔が襲ってくるのは必然で、胡坐のままコクリコクリとはじめる。陣通時には痛みで起きるから、瞬間的に眠れるのは陣痛間の数秒間だけだ。それを倒れないように、横から抱きかかえるように上半身をキープ。それも分娩台の横から抑えているので、これが非常に不安定なのだ。中腰で力が入らない。きつい。
これを数時間続けてみて思ったのは、世間で言う介護疲れとはやはり並大抵のことではないな、ということ。静かだしやることは単純で決まっているからいろんなことが頭に浮かぶ。俺も助産師さんも眠い。しかし嫁は更に陣痛の痛みに耐えているのだから何も言えない。0 時から 2 時までの 2 時間は、22 時から 24 時までの 2 時間の数倍にも感じた。そして 2 時から 4 時までの 2 時間は更にその倍くらいに。そういえばかつて警備員のバイトで深夜~早朝にかけて交通整備をやっていたときもこの時間はきつかったな、と思い出す。あの状況では一人で唄でもうたえたが、今はそうも行かない。キャロル・キングがまたリピートされる。
あとこの時間帯で思い出すのは FF11 だ。仕事が終わって帰ってきて、早ければ 21 時くらいから明け方の 5~6 時くらいまでやっていた。睡眠時間 1.5 時間くらいで起きて出社。うーん、あのときの数ヶ月を考えれば、今日のこれは辛くもないぞ!?と思い直す。若い頃の苦労はするものだ。こういう意味ではないだろうけど。
4 時になると気分は楽になり、あと 2 時間もすればスタッフも増えるだろうし病院全体が動き出す筈。カーテンの隙間からは朝日も見える筈。変化があるって素晴らしい、との期待も湧き、意識が冴え出す。それに呼応するかのように嫁の状態にも変化が現れ、陣痛間隔が更に速くなっていった。助産師さんは 2 人交代で付き添っていてくれて(俺はずっとだけどね(笑))、メインの助産師さんが戻ってきたところで「これはそろそろですね」と、出産の臨戦態勢に入った。医師にも声がかかる。
5 時くらいから分娩室が変化した。出産用の道具が準備され出し、助産師さんも出産用の手術着(エプロン?)のようなものや手袋を付け出す。医師も常時サポートの体制に。助産師さんの合図で嫁がいきみ出したのは 5 時半くらいからだったかな?もう睡眠のステージは完全に終わった。正直な感想は、えぇ、この時間から始まるの?ということ。しかしそうだよね、赤ちゃんは外の時間軸とは関係なく、自分でタイミングを決めている。
そこから奮闘 2 時間。7 時 22 分、無事に女の子が誕生した!これは、実際に経験した人でないと味わえない感動だ。世の中のお母さん方は本当に素晴らしい歴史を紡いで来たんだね。母親である、というだけで尊敬する、そんな気分になる立会いになった。娘のことは書き出すとバカ親になりそうなので割愛(笑)
その後、病室で少し仮眠を取ったりして帰宅。22 時から無事に消費電力グラフが上がっている。そして爆睡。久しぶりにここちのよい睡眠となった。